「六人目のビートル」サム・リーチ死去

1961年から1962年にかけてリバプールを中心に約40回ビートルズのライブを仕切ったサム・リーチが2016年12月21日に亡くなりました。81歳でした。
サム・リーチ(下)
ハンブルク帰りのビートルズを見たサム・リーチは「ビートルズはエルヴィス・プレスリーを超えることになる」と直感し積極的にプロモーション活動を行いました。彼は4000人以上を動員するイベントを成功させるなど、地元では一目置かれる興行師でした。ビートルズのマネージャーになりたかった彼はロンドン進出の足掛かりに南イングランドでビートルズを売り込むイベントを開催しましたが広報活動のミスで18名しか観客が来ず失敗に終わりました。この面白エピソードと当時の写真を後世に残したことが彼のビートルズ史に対する一番の功績かもしれません。
閑散とするフロア
ポールだけは一所懸命?
これをきっかけとし(サム・リーチ本人はそう思っていたようです)ビートルズはまもなく彼の元を去り、ブライアン・エプスタインをマネージャーとして迎えることになります。5人目のビートルと称される事が多いブライアン・エプスタインになり損ねた人物ということで「六人目のビートル」というわけです。
2016年9月にはサム・リーチを主役とするドキュメンタリー映画、その名も「The Sixth Beatle」が完成したばかりでした。
http://www.tiff.net/films/the-6th-beatle
映画「The Sixth Beatle」の一シーン
映画にはフリーダ・ケリーも出演
この映画の制作時にはビートルズ研究の大家マーク・ルイソンのインタビューを収録しましたが、試写を見たマーク・ルイソンは出演辞退を申し入れたそうです。サム・リーチの認識を重視し過ぎた内容になっているということなのでしょう。

とはいえ、過去の一時の栄光にすがるただの大ぼら吹きというわけでもなく、その後ビートルズのメンバーとの交流は続いたようです。 1964年の映画『A Hard Day's Night』のワールドプレミアに招待されていますし、ポール・マッカートニーがリバプール公演を行う際はバックステージに招かれるそうです。





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