ビートルズをプロにした男アラン・ウィリアムズ死去

自称「ビートルズの初代マネージャー」、実際そのように称す人も多いリバプールの実業家、アラン・ウィリアムズが2016年12月30日に亡くなりました。86歳でした。
ジョン・レノンが1960年に撮影した写真。一番左がアラン・ウィリアムズ

彼が1958年にオープンしたカフェ/バー「Jacaranda」の常連客だったジョン・レノン達に目をかけ、アルバイトを斡旋したり演奏の機会を与えたりしていたようです。その後ジョン達がBeatlesと名乗るようになるとドイツのハンブルク興行に送り出すことを思いつきます。彼がビートルズに対して海外公演に足るパフォーマンス向上を要求したことがビートルズの初代ドラマー、ピート・ベスト正式加入のきっかけとなりました。初めてハンブルクに出立する際はアラン・ウィリアムズ自らバンを運転してビートルズを連れていったそうです。
ハンブルクでの過酷な演奏環境がビートルズをプロのミュージシャン/ショーマンとして鍛え上げたのは自他ともに認めるところで、アラン・ウィリアムズが無ければその後のビートルズの成功はありませんでした。
ハンブルク興行を繰り返す中でプロとして自立心が芽生えたビートルズから契約解消を切り出され、彼はビートルズのマネージャー業から退くことになります。その後ビートルズのマネージャーに就任したブライアン・エプスタインが筋を通すためにアラン・ウィリアムズに会いに行ったことから見ても、彼がブライアン・エプスタインの先代のマネージャーであったと考えて良いでしょう。「六人目のビートル」の筆頭候補と言えます。

1969年1月22日ゲットバック・セッションを訪れたアラン・ウィリアムズ

ビートルズ解散後はビートルズの偉業を後世に残すために積極的に活動しました。自叙伝「The Man Who Gave The Beatles Away」を出版、リバプールのビートルズ関連イベントの立ち上げに参画、ビートルズのハンブルク時代のライブ音源を世に出す、などさまざまです。

2016年にはその功績が称えられリバプールの名誉市民になりました。同年公開の映画「Eight Days A Week」の特典映像にも出演しています。
 彼の訃報に接し、ビートルズ関連団体が続々と追悼コメントを発表しました。

コメントを投稿

0 コメント