2025年7月22日、ハードロック/ヘヴィメタル界の伝説的シンガーであるオジー・オズボーンの訃報が伝えられました。享年76歳。ブラックサバスのボーカリストとして「Prince of Darkness(暗黒卿)」の異名をとった彼ですが、その一方で筋金入りのビートルズ・ファンであったことは広く知られています。
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ポール・マッカートニーとオジー・オズボーン |
ビートルズとの出会いと音楽人生の原点
オジー・オズボーンが音楽の道を志すきっかけとなったのは、他でもなくビートルズとの出会いでした。彼が語るところによると、1963年に地元バーミンガムでトランジスタラジオから流れてきたビートルズの「She Loves You」を初めて耳にした瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けたと言います。その時15歳だったオジー少年は、「『シー・ラブズ・ユー』が流れてきた瞬間に、自分は何をすべきか悟ったんだ」と振り返っており、「あれ以来、自分は熱心なビートルズ・ファンになった。彼らは最高だったよ」とも語っています。オジーは「自分のキャリアはビートルズのおかげで築けたんだ。彼らがいなければ音楽をやりたいという気持ち自体が芽生えなかっただろう」とまで明言しており、ビートルズがいかに彼の人生観を変えたかが伝わってきます。
息子から「なぜそんなにビートルズに夢中なの?」と不思議がられた際、オジーは「昨日まで世界が白黒だったのに、今朝起きたらすべてがカラーになっていたようなものさ。それくらい衝撃的だったんだ!」と答えたそうです。
語り継がれたビートルズ愛とリスペクト
オジー・オズボーンはその後の長いキャリアを通じて、ことあるごとにビートルズ愛を公言してきました。近年のインタビューでも「ビートルズは僕のお気に入りだ」と断言し、「『サージェント・ペパーズ』は本当に素晴らしいアルバムだよ」と賞賛しています。
ヘヴィメタルの雄である彼ですが、「ビートルズはいつだって最高のメロディを持っていた。僕はキャリアを通じて、ダークなリフにメロディを乗せることだけを心がけてきたんだ」とも語っており、ビートルズ流の美しいメロディセンスこそ自身の音楽の根幹にあると述べています。
そんなオジーにとって、ビートルズのメンバーと実際に会うことは夢のような体験でした。中でもポール・マッカートニーとの対面は「人生最高のハイライトだった」「ポールがあれほど気さくで素敵な人物だとは思わなかった!」とその感激を明かしています。また幸運にもリンゴ・スターとも顔を合わせる機会があったそうで、「リンゴも本当に最高の奴さ」と嬉しそうに振り返っています。
ビートルズとの共演エピソード
2002年にバッキンガム宮殿で開催されたエリザベス女王即位50周年記念コンサート「Party at the Palace」では、オジーはポールら豪華ミュージシャンと肩を並べ、ビートルズの「All You Need Is Love」を大合唱しました。
オジーは、折に触れビートルズ(およびメンバーのソロ曲)をカバーしています。例えば2005年のカバーアルバム『Under Cover』では、ビートルズの「In My Life」をはじめ、ジョン・レノンの「Woman」や「Working Class Hero」といった楽曲を取り上げました。
さらに2010年、ジョン・レノン生誕70周年の折にはレノンの楽曲「How?」をカバーし、Amnesty Internationalを通じて発表しています。この企画に際しオジーは「ジョンとヨーコは世界の問題に真っ向から立ち向かった。あの二人には本当に敬意を表するよ」と語っています。
ジョン・レノンへの特別な想い
オジーのビートルズ愛の中でも、ジョン・レノンへの傾倒はひときわ強いものでした。幼少期からのヒーローであったジョンについて、「ジョン・レノンは “人類にとっての原動力” だ」とまで語っています。米ローリングストーン誌が行った「史上最高のシンガー」選出企画では、1位にジョン・レノン、2位にポール・マッカートニーを挙げています。
ジョンの代表作であるアルバム『Imagine(イマジン)』はオジーにとって格別な一枚でした。2020年のインタビューでは「このアルバムは何千回となく聴いてきた。収録曲の『Imagine』や『Jealous Guy』『Gimme Some Truth』はいつ聴いても色褪せない名曲で、ジョン・レノンがいかに偉大なソングライターだったかを物語っている」と述べ、来たるアルバム発売50周年を信じられない思いで迎えていると語っています。さらに「レノンは詩人であり反逆者であり、途方もない情熱の持ち主だ。それらすべてがこの歴史的アルバムには表れているんだ」とも。
1980年12月にジョンが凶弾に倒れ帰らぬ人となった際、「その知らせを聞いた瞬間、僕の中で世界が止まってしまったよ」と当時の衝撃を語っています。「ジョンが生涯を通じて人々に与えてくれた希望と喜びの大きさは計り知れない」とその偉大な功績を讃えています。
受け継がれるビートルズ魂
オジーは生前、「自分はいつだってビートルズになりたかったんだ」と冗談めかして語ることもありました。ヘヴィメタルという異なるジャンルで頂点を極めながらも、常に胸に抱いていたのはビートルズへの憧れとリスペクト。
まだまだあるビートルズエピソード
若き日のオジーは「ポール・マッカートニーが妹と結婚して親戚になってくれたら最高」と真剣に夢想していたとか。自室の壁はビートルズのポスターで埋まり、毎晩その世界に没頭していたと語っています。
2014 年グラミー賞ではブラックサバスが登壇し、リンゴ・スターを紹介するはずのオジーが客席のポールとヨーコを見つけてパニック。言葉がうまく出ず、隣のギーザー・バトラーが笑いをこらえきれなかったそうです。
奥様シャロン曰く「ビートルズという言葉すら口にできなかったほど畏敬していた」。「結婚して35年、一日たりともビートルズを聴かない日はなかった」と断言。オジーが重度のケガで昏睡状態になった際も、病室でビートルズをかけ続け“音楽療法”を行ったそうです。
バラード「Dreamer」の録音後に同じスタジオ入りするポールへ “一生のお願い” でベース参加を打診したものの実現しなかったという裏話を披露。「彼がベースを一音“べーん”と鳴らすだけで僕は天にも昇る気持ちだった」と語りました。
死の約2週間前に行われた引退コンサートの様子↓
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