ビートルズの広報担当トニー・バーロウ死去

1962年~1968年にビートルズの広報を担当していたトニー・バーロウが2016年5月14日に亡くなりました。80歳でした。
ビートルズの記者会見を仕切るトニー・バーロウ

ビートルズのデビュー時にブライアン・エプスタインにより当時の2倍の給料でデッカ・レコードから引き抜かれたトニー・バーロウはブライアン・エプスタインの死の翌年に職を辞すまで、まさにブライアン・エプスタインと一体となって巧みなメディア戦略でビートルズの名声を高めるために活躍しました。

トニー・バーロウのエピソードをまとめます。
  • ビートルズのデッカ・オーディション(1962年1月1日)をお膳立て
  • 「The Fab Four」というキャッチフレーズを考案
  • 初期のビートルズのアルバムのスリーブノートを執筆
  • ビートルズのメンバーのゴーストライターとして雑誌記事を執筆
  • ビートルズのファンクラブ向けクリスマスレコードを企画
  • ビートルズのアメリカツアーに報道陣やディスクジョッキーを帯同させる
  • ビートルズとエルヴィス・プレスリーの会合に随行
  • ビートルズ日本武道公演7月2日昼公演の映像を8mmフィルムで撮影
  • ビートルズのフィリピンからの脱出を手配(イメルダ夫人のパーティーをすっぽかして反感を買っていた)
  • ビートルズのツアー最後となったキャンドルスティック・パーク公演を録音
  • EP「Magical Mystery Tour」のジャケットに記載された漫画を編集
トニー・バーロウ自身は「ビートルズがビッグになったのは彼らの才能の賜物」と自分の功績については控えめです。

 ポール・マッカートニーは追悼コメントを発表しています。
ビートルズ公式サイトには追悼文が掲載されました。
Tony Barrow, The Beatles's First Press Officer (1936 – 2016)

前列右からニール・アスピノール、マル・エヴァンス、トニー・バーロウ

記者会見を仕切るトニー・バーロウ(開始約4分から)↓


リバプールの「The Beatles Story」にて(2000年)

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