ポール・マッカートニー「ザ・ビートルズ 1」発売記念インタビュー

ポール・マッカートニーが雑誌「Billboard」2015年11月21日号で「ザ・ビートルズ 1」収録曲について語りました。

Billboard Cover: Paul McCartney Reveals the Stories Behind The Beatles' No. 1 Hits

以下、ポールの発言内容を意訳します。曲名の後に記載あるのはアメリカで1位になった日付です。

"I Want To Hold Your hand" (1964年2月1日)
 アメリカのチャートで1位を取るまではアメリカに行かないとブライアン・エプスタインに言っていた。パリ滞在中に"I Want To Hold Your hand"が1位になったことを電報で知ってみんな飛び上がって遅くまで騒いだ。これでアメリカに行けると思った。

"Love Me Do" (1964年5月30日)
 ビートルズの初期の曲は後期に比べてシンプルだった。これもビートルズの良いところだ。初期の曲はmeとかyouとかいう言葉で臆面もなく直接的にファンに向けられていた。Love Me Doは当時が呼び起こされて好きだという人もいる。(曲がシンプル過ぎて面映ゆいが)1位を取ったんだから文句は無い。

ジョージ・マーティンはビートルズのような音楽的素養を持たない人々を相手したことが無かった。
だからリンゴ・スターをプロっぽくないと判断して、リンゴをタンバリンに押しやった。それが長くリンゴを傷つけることになった。ビートルズの他のメンバーはアンディ・ホワイトがリンゴより優れているとは思えなかったが、大人に従うしか無かった。

"Eight Days A Week" (1965年3月13日)
"Out There"ツアーのオープニングにこの曲を演奏するのを見て「ビートルズのクラシックで開演」と評する人がいるが、クラシックだとは思っていない。ビートルズが書いた最も賢い曲とは言わないが、生きる歓びを具現している曲だ。
何よりタイトルがいい。(タイトルはリンゴが考えたというのが定説だが実際は)自分がジョン・レノンの家に行く車の中で運転手が発した言葉で、それをタイトルにすることをひらめいてその後の1時間で書き上げた。
"Hold me, love me"という直接的なフレーズは当時は斬新だった。抑圧されていた親の世代と違って、自分達は血肉の通った若い男だった。頭の中は女の子のことで一杯だった。

"Help!" (1965年9月4日)
ジョンの家で二人で書き上げたこの曲はその場でジョンの当時の妻シンシアと友人のジャーナリストに聴かせた。満足行く出来だった。
ジョンはいつも助けを求めていた気がする。彼が3歳の時に父親がいなくなり、その後一緒に住んでいた叔父さんが死に、実母も死んだ。ジョンの人生は助けを求める叫びそのもだったと思う。

"We Can Work It Out" (1966年1月8日)
(当時の恋人ジェーン・アッシャーとの喧嘩について歌ったと言われているが)当時の境遇はよく覚えていない。横柄な歌詞に聞こえるかもしれないが、普遍的に男が女に対して言いたい台詞だ。
(12時間という当時としては異例に長いレコーディングとなったが)複雑な曲では無かったが自分の曲だったから神経質になったんだと思う。理想形がイメージできているのにその通りになっていなかったらやり続けるしかない。

"Paperback Writer" (1966年6月25日)
 それまではスモーキー・ロビンソン&ミラクルズやフィル・スペクターに影響を受けていたがこの時はビーチボーイズに影響を受けていた。"Paperback Writer"はビーチボーイズへの返礼のようなものだ。「Paperback」という言葉が好きだった。
(「Frere Jacques」というコーラスが入っている理由)良い質問だが何故かはわからない!面白そうなアイデアを試すことに躊躇が無かった。

"Penny Lane" (1967年3月18日)
 ペニーレインにはジョンと自分がお互いの家に行き来するためのバスターミナルがあった。
歌詞で歌われている内容は基本的に事実だ。看護婦が売っているのを子犬(puppies)と勘違いしている人が多いが、花のポピー(poppies)だ。
バッハのブランデンブルグ協奏曲で鳴っていたピッコロ・トランペットに興味を持って街一番の演奏者を招聘し、フレーズを書き与えた。とってもマジカルだった。

"Hey Jude" (1968年9月28日)
両親が離婚したジュリアン・レノンへ会いに行く途中に"Hey, Jules, don't make it bad"という言葉が思い浮かんだ。Hey Judeは希望の歌だ。ジュリアンについて歌ったのは最初の一文だけだ(編注:ジョン・レノンはこの曲のYouを自分のことだと思っていたらしい。実際ポールは誰を想定していたのかはこのインタビューでも明かされなかった)。
Carouselか何かのミュージカルの中で「Jude is dead」か何かのフレーズを見たのを元に「Hey Jude」と変えた。その時はJudeがドイツ語の「ユダヤ人」という言葉に音が似ていることに気付かず、混乱を招いた。そのことで怒りを買った。

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