ビートルズの記者会見を仕切るトニー・バーロウ |
ビートルズのデビュー時にブライアン・エプスタインにより当時の2倍の給料でデッカ・レコードから引き抜かれたトニー・バーロウはブライアン・エプスタインの死の翌年に職を辞すまで、まさにブライアン・エプスタインと一体となって巧みなメディア戦略でビートルズの名声を高めるために活躍しました。
トニー・バーロウのエピソードをまとめます。
- ビートルズのデッカ・オーディション(1962年1月1日)をお膳立て
- 「The Fab Four」というキャッチフレーズを考案
- 初期のビートルズのアルバムのスリーブノートを執筆
- ビートルズのメンバーのゴーストライターとして雑誌記事を執筆
- ビートルズのファンクラブ向けクリスマスレコードを企画
- ビートルズのアメリカツアーに報道陣やディスクジョッキーを帯同させる
- ビートルズとエルヴィス・プレスリーの会合に随行
- ビートルズ日本武道公演7月2日昼公演の映像を8mmフィルムで撮影
- ビートルズのフィリピンからの脱出を手配(イメルダ夫人のパーティーをすっぽかして反感を買っていた)
- ビートルズのツアー最後となったキャンドルスティック・パーク公演を録音
- EP「Magical Mystery Tour」のジャケットに記載された漫画を編集
ポール・マッカートニーは追悼コメントを発表しています。
Tony Barrow was a lovely guy who helped us in the early years of The Beatles. He was super professional but always ready for a laugh. (1/2)— Paul McCartney (@PaulMcCartney) 2016年5月15日
ビートルズ公式サイトには追悼文が掲載されました。He will be missed but remembered by many of us. (2/2)— Paul McCartney (@PaulMcCartney) 2016年5月15日
Tony Barrow, The Beatles's First Press Officer (1936 – 2016)
前列右からニール・アスピノール、マル・エヴァンス、トニー・バーロウ |
記者会見を仕切るトニー・バーロウ(開始約4分から)↓
リバプールの「The Beatles Story」にて(2000年) |
0 コメント