ビートルズのアルバム『Let It Be』をプロデュースしたフィル・スペクターが獄中死

 「ウォール・オブ・サウンド」で一世を風靡し、ビートルズ解散前後にビートルズやメンバーの作品のプロデュースを行ったフィル・スペクターが2021年1月16日に亡くなりました。81歳でした。殺人罪で有罪となり刑務所に収監されていたので受刑者のまま一生を終えたことになります。

ジョン・レノン夫妻と(1964年)

ジョージ・ハリスンと

大物プロデューサーのフィル・スペクターが新型コロナのため81歳で逝去。その功績を辿る (uDiscoverMusic日本語版)

 ジョン・レノンより1歳年上のフィル・スペクターは10代で作曲した「To Know Him Is To Love Him」を自ら所属するThe Teddy Bearsのデビューシングルとして1958年にリリースし、いきなり全米1位を獲得しました。

 

同曲はビートルズも「To Know Her Is To Love Her」としてカバーしています。

ビートルズとはビートルズのアメリカ進出をきっかけに懇意となりました。セミリタイア状態だったフィル・スペクターは「ちょっと変わったカリスマ」が大好物のジョン・レノンの目に留まって「Instant Karma!」(1970年2月にジョンがビートルズ外でリリース)のプロデューサーとして招かれ、同レコーディングに参加していたジョンとジョージ・ハリスンの信頼を得て同年『Let It Be』のプロデュースをするに至りました。

1年間放置されていた音源をなんとか商業的成功を収められるようまとめ上げた手腕は評価される一方、そのプロデュース方針、とくに「The Long and Winding Road」の編曲にポール・マッカートニーが難色を示したことがビートルズ解散の一因になった可能性があります。

ポールがフィル・スペクターに送った抗議文

 ビートルズ解散後もジョンとジョージの作品に関与しています。

『All Things Must Pass 』(ジョージ 1970年)
『John Lennon/Plastic Ono Band』(ジョン 1971年)
「Power to the People」(ジョン 1971年)
「Bangla Desh」(ジョージ 1971年)
『Imagine』(ジョン 1971年)
『The Concert for Bangladesh』(ジョージ 1971年)
「Happy Xmas (War Is Over)」(ジョン 1971年)
『Some Time in New York City』(ジョン 1972年)


その後、ジョンの次回作(のちの『Rock 'n' Roll』)のプロデュースも着手しましたが、奇行が目立つようになっていたフィル・スペクターがスタジオ内で発砲するなど現場をかき回したあげく、マスター・テープを持ち逃げするという事態に発展し、ビートルズのメンバーとの仕事は断絶することになりました。

↓拳銃発砲の再現シーン

このような経緯があることに加え、受刑者ということもあってかフィル・スペクターの死に対して公にコメントしているビートルズ関係者はいないようです。2020年『Let It Be』50周年を新作映画『The Beatles : Get Back』で塗りつぶそうとしていたのも厄介者のフィル・スペクターとの関係を無かったことにしたかったという意図もあるのかもしれません。

↓ジョンの死について語るフィル

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