グラハム・ナッシュ ビートルズにコンテストで勝った逸話を日本のラジオ番組で披露

20年ぶりのCrosby, Stills & Nash日本公演のために一足早く来日したグラハム・ナッシュは精力的に日本のラジオ番組に出演しました。
クロスビー、スティルス&ナッシュ
2015年3月1日のInterFM「Barakan Beat」に2時間たっぷり出演し生演奏も披露したグラハム・ナッシュ(グレアムと表記する場合もあり)はビートルズとのエピソードを語りました。

1959年にイギリスのマンチェスターで開催されたタレントショー(芸能コンテスト)に、グラハム・ナッシュはアラン・クラーク(のちに一緒にThe Holliesを結成)と参加しました。同じく参加していたグループがJohnny and the Moondogs、後にビートルズとなるジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの3人でした。3人はバディ・ホリーの曲を演奏していたので、同じくバディ・ホリーのファンだったグラハム・ナッシュは3人のことが記憶に残ったようです。
ジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグス名義のころ
優勝者は最後に観客の拍手によって決定されましたが、Johnny and the Moondogsはバスでリバプールに帰るために最後まで居られず、優勝の権利を逃したそうです。結局グラハム・ナッシュとアラン・クラークが優勝となりました。
追記:2016年2月に出演したアメリカのテレビ番組でも同様のことを語っています。

 ビートルズと同じ時期にイギリスでミュージシャンとして活躍したグラハム・ナッシュ(当時The Hollies)とデヴィッド・クロスビー(当時The Byrds)はサイケデリック期(1966年~1967年)を中心に様々交流があったようです。クロスビーはとくにジョージ・ハリスンと仲が良かったようです(追記:彼の作品「Laughing」はジョージに捧げられた曲だそうです。→本人のTwitter
ポール(左)、ジョージ(右寄)、クロスビー(最右)、ジョンもいたがこの写真には写っていない

ジョージと談笑するクロスビー



 ドキュメンタリー映画「ビートルズと私」でグラハム・ナッシュはテレビ番組「Our World」出演時の様子を話しています。
 

その後スティーヴン・スティルスとともにクロスビー・スティルス&ナッシュとして活動を始めた後はいくつかビートルズの曲のカバーを披露しています。

Blackbird(1969 ウッドストック)


In My Life(1994 ウッドストック)

Norwegian Wood(2010 リヴァプール)

今回のCS&N日本公演はジェフ・ベックによるA Day In The Lifeのカバーが流れてから始まります。

僕も今回の東京公演に行きましたが、ポール・マッカートニーより年上のグラハム・ナッシュは多少辛そうながらもハイトーンボーカルを維持しており、さらに年上のデヴィッド・クロスビーの艶のある歌声と壮大な声量は会場を圧倒していました(年下のスティーヴン・スティルスの声は1980年代の時点ですでに衰えていましたが)。

2015年3月6日 東京国際フォーラム(スマートフォンでの撮影は許可されていた)

ポール・マッカートニーの声が衰えてしまったのは若いころシャウトし過ぎたせいと、食事のせいかなと思いました。

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