ムッシュかまやつさん死去 ビートルズとの関係

ミュージシャンのムッシュかまやつ(かまやつひろし)さんが2017年3月1日に亡くなりました。78歳でした。

ビートルズを語るムッシュ(2012年ごろ)
 ビートルズのアメリカ編集盤「MEET THE BEATLES」(1964年)に衝撃を受け、ザ・スパイダースにビートルズ要素を注入することで日本のグループサウンズブームのきっかけをつくりました。当初は積極的にビートルズの曲を演奏していたようで、ザ・スパイダースは当時日本最高のビートルズコピーバンドであったと言えるかもしれません。

かまやつさんが作曲したザ・スパイダースの代表曲「ノー・ノー・ボーイ」の歌いだしはビートルズの「Ticket To Ride」のサビから引用したそうです。
1966年のビートルズ来日公演の際にザ・スパイダースは前座のオファーを受けたものの断って客席からビートルズの演奏を見たというのは有名なエピソードです。なお、ビートルズ日本滞在時のホテルの部屋にザ・スパイダースのアルバムが運び込まれていたそうで、ビートルズも聴いたかもしれません。

 2006年のビートルズ来日40周年の際のコメント
https://www.j-wave.co.jp/beatles40th/rv/0606.htm
かまやつさんは49年後のポール・マッカートニー日本公演にも来場しています。

ザ・スパイダースはビートルズと同じ1970年に解散しました。その後1970年代後半にジョン・レノンはオノ・ヨーコと頻繁に来日するようになりましたが、定宿としていたホテルオークラでかまやつさんはジョンに遭遇したそうです。
ビートルズ現役時代最後の映画「Let It Be」が1980年代に日本でテレビ放送された際はかまやつさんがナレーションを加えていました。当時から「ビートルズと言えばかまやつひろし」 という存在だったのでしょう。

2001年のDream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴの第一回に出演、2009年9月9日のビートルズのリマスター盤発売監禁イベントに出席するなど、ビートルズとの結びつきは晩年まで続きました。
くす玉を割るかまやつさん
かまやつさんがトリを務めるライブイベントに甲虫楽団も出演させていただいたことがあります。2012年2月12日のことです。甲虫楽団は早々に出演を終えたのでかまやつさんに演奏を見ていただくことはできませんでしたが、かまやつさんの演奏はメンバー一同拝見しました。エレキギター1本の弾き語りにも拘わらずそのグルーブと迫力に圧倒されました。イベント終了後の打ち上げでのきさくなお人柄も忘れられません。
2012年2月12日 ムッシュかまやつ
2012年2月12日 甲虫楽団

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2 コメント

  1. 今では日本語字幕での映画放送は珍しくはないけど、当時はなかった。
    「声優組合」的な団体との何らかの取り決めがあったのかも。
    この映画はドキュメンタリータッチだから、ヤアヤアヤアやヘルプみたいな吹替はできず、ナレーションを入れたのは苦肉の策だったのかも。
    記憶だとこの放送はノーカット、ノーCM(1回くらいあったかな?)がウリで、「名作シリーズ」的に何作か続けて放送された中のひとつがレットイット~だった。
    正直、ムッシュがナレーションと知ってコケた。 合掌。
    ※ドキュメンタリータッチとしたのはルーフトップコンサートの警官乱入にヤラセ説があるから(笑)

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    1. コメントありがとうございます。

      なるほど。ご指摘のような背景がありそうです。

      今こそ日本語吹き替え版作ったら面白そうですね。
      オノ・ヨーコ役はもちろんご本人で・・・。

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