一言では語りつくせないほど様々な側面を持つ方ですが、ビートルズファン目線からするとまずは「ビートルズ日本公演に前座で出演した人」ということになります(本人は『俺は前座じゃない。共演してやってんだ』と言っていたそうですが)。
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ビートルズ日本公演を特等席で見る内田裕也さんと尾藤イサオさん (アリーナ正面のパイプ椅子に座っている二人がそれ) |
政見放送をジョン・レノンの「Power To The People」のアカペラから始めたのが印象的でした。
1973年のオノ・ヨーコさんへのインタビューをきっかけにジョン・レノンと親交がありました。後年ことあるごとに当時の事を語っています。
<私の恩人>内田裕也、親友ジョン・レノンが俺の原点(THE PAGE 2014年10月)
オノ・ヨーコさんからは「あなたなんかアーティストとして何もしてないじゃない!ジョンもそう言ってたわよ。」、(都知事選出馬を伝えた際には)「あら、バカね」など辛辣なコメントを浴びせられたようですがお互いが主催するイベントに出演したり、ジョン追悼イベントで共演するなど仲間意識はあったと思います。
ジョン・レノン・スーパーライブ(2003年12月 内田裕也オフィシャルサイト)
ジョン・レノン追悼(2005年12月 内田裕也オフィシャルサイト)
実際は良好な関係を継続したのはオノ・ヨーコさんと樹木希林さんのようでした。内田裕也さん抜きで会うことも多かったようですし、近年コメントを交換しています。
樹木希林 オノ・ヨーコに嫉妬「スケールが違う」(スポニチ 2016年5月)
オノ・ヨーコさん、希林さんをしのぶ 「頭のキレる人」(朝日新聞 2018年9月)
一連の言動を見ていると内田裕也さんは樹木希林さんと共にアーティストとしてのジョン&ヨーコになりたかったのかなと感じました。
2013年のポール・マッカートニー日本公演の際は東京ドームでお見掛けしました。翌年ポールの日本公演が中止になった際は以下のようにコメントしていました。
「去年(の来日公演)はしっかりしていて、感激してさすがポールと思っていた。ポールはベートーベンを超えたって一文を書いた。彼が聞いたら喜んでくれただろう。武道館は行ってみたいなと思ってたんだけど。ちょっと今回早すぎたな、来るのが(昨年11月の来日以来)。1年くらい待ってほしかった」
ショーン・レノンが追悼しています。ショーンは内田裕也さんがプロデュースしていたFlower Travellin' Bandのアルバム『SATORI』のリメイクをしたいと内田裕也さんに打診したそうで、追悼投稿のハッシュタグも#flowertravellinbandとなっています。
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