志村けんさん死去 ドリフターズが前座で出演しただけではないビートルズとの密接な関係

2020年3月29日に志村けんさんが亡くなりました。70歳でした。
2019年11月にフライデーされた志村さん
上記写真で志村さんが着ていたCOMME des GARCONSのTシャツ

志村さんは中学時代からビートルズにハマりバンド活動も始め高校2年生のときにビートルズ日本公演を見ています。高校の同級生が入手したチケットを「お前が行くより俺が行かないとダメだ!」と説得して譲り受けたそうです。当日武道館にカメラやレコーダーを持ち込んで撮影や録音もしたといいます。


一方、志村さんと言えばドリフターズ、ドリフターズと言えばビートルズ来日公演で武道館のステージに前座として出演したことが思い浮かびます(演奏した曲は「のっぽのサリー」)。そこから「志村けんはビートルズ日本公演でドリフターズを見て弟子入りを決意した」という都市伝説が生まれましたが、後年本人はそれを否定しています。ドリフターズが出演していない日の公演を見に行ったのが事実のようです(行ったのは7月2日との説あり)。この都市伝説は本人発だったのかもしれません。面白がってそのように話していたことがあったそうです。なお、ビートルズ日本公演のエピソードとしてポールのマイクがグラグラする件を語ることが多いですが、それは志村さんが見ていない初日公演限定なので、その様子をテレビ放送などで目にしたことが印象に残っていると思います。

↓坂崎幸之助(THE ALFEE)と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD(2012.10.15)

とはいえドリフターズに近づいた(いかりや長介さんに弟子入りした)のはドリフターズが音楽的バックグラウンドのあるお笑いグループだったからそうです。加入当初は従来のスタイルの演奏コントにも参加しています。音楽的側面からするとそれまでのドリフターズはジャズ、ロカビリー、ハワイアンといった1950年代以前のセンスが大半を占めていたところに志村けんさんがソウルやファンクといった要素を注入して躍動感が増したと考えることもできそうです。



その後「8時だョ!全員集合」でさまざまなギャグやキャラを生み出してブレイクすることになりますが、「東村山音頭」「ヒゲダンス」を挙げるまでもなくどれもリズミカルでキャッチーであり、音楽的センスが影響していることは想像に難くありません。
その後はお笑い一筋であまり音楽を前面に押し出す活動はありませんでしたが、ブラック・ミュージックのレビューを音楽雑誌に寄稿したりビートルズの楽曲の一部を自身の番組の挿入歌に使うなど、音楽との付き合いは続いていました。晩年はミュージシャンとして三味線を人前で披露することが増えました。


ビートルズに対する愛情は衰えることはなく、「行き詰ってくると『ホワイト・アルバム』なんかが聴きたくなる」(1995年)、「一番好きなのは結局ビートルズ」(2001年)と雑誌のインタビューで語っています。六本木にあったビートルズ専門ライブハウス「キャバン・クラブ」にも通っていました。志村さんのビートルズに関するインタビューや好きな曲を見るとジョン・レノン派だったようです。

志村けん選ベストアルバム(雑誌のインタビュー記事による)

(A面)
Mr. Moonlight
Girl
No Reply
Happiness is a Warm Gun
I Me Mine
You're Going to Lose That Girl
Don't Let Me Down

(B面)
Hello Goodbye
It's Only Love
While My Guitar Gently Weeps
I'm So Tired
I'm Only Sleeping
I Want You (She's So Heavy)
Let It Be (LPバージョン)
All You Need Is Love

内訳を整理します。
ジョン・レノン作:10曲
ポール・マッカートニー作:2曲
ジョージ・ハリスン作:2曲
他のアーティストのカバー:1曲
ジョン・レノン派ですね。

1965年までの曲:5曲
1966年以降の曲:10曲
リアルタイム世代には珍しく、ビートルズ来日以降の曲が多いです。


コントの衣装やセリフにビートルズが登場することもありました(マッシュルームカットで襟無しスーツを着てガニマタでギターを弾く。「Our WorldでビートルズがAll You Need Is Loveを歌った時高校3年生だった」等)
自身のブログにも時折ビートルズが登場しており、2006年にはアルバム『LOVE』について、2011年には映画『ノーウェアボーイ』について語っています。2013年11月19日のポール・マッカートニー東京ドーム公演を見たそうです。おそらくウイングス日本公演に行くつもりが見られなかったのでしょう、1966年のビートルズ日本公演以来だったそうです。
ポール マッカートニー(志村けんオフィシャルブログ) 

 
志村けんさん たくさんの笑いをありがとうございました。

追記:
2020年8月22日~23日に放送された24時間テレビ「愛は地球を救う」で志村けんさん追悼企画が放送されました。
重岡大毅、志村けんさんの愛した「Let it be」ピアノ生演奏(マイナビニュース)
志村さんはジョン派だったので他の曲の方がよかった気もしますが、知名度と感動という意味で選ばれたのでしょう。ちなみに、演奏されたのは志村さんが好きだったLPバージョン(アルバムバージョン)ではなくシングルバージョンのギターソロでした。

加藤茶&仲本工事&高木ブー、ビートルズ来日公演のドリフ前座再び いかりやさんと志村さんに捧げる54年ぶり演奏
(オリコン)
この三人で「こぶ茶バンド」として近年も音楽活動しているので驚くに値しないのかもしれませんが、ビートルズ日本公演前座で演奏した曲をドリフターズ名義で披露するのは快挙だと思います。アレンジは当時と違いジャズ風でしたが、当時と同じネタ(ジャンという大きな音で体制を崩す)も盛り込んでいました。ビートルズ来日50周年の節目には実現できなかったことなので(オファーはしていたはず)、志村けんさんの死の大きさを思い知ります。

 

志村けんとドリフの大爆笑物語(フジテレビ)
2021年12月27日放送。ドラマはビートルズの「A Hard Day's Night」(ビートルズ本人音源)で始まりました。 ものすごい再現度のドラマなのでビートルズ日本公演のドリフの前座が描かれたらよかったなあと思います。志村けんさんがドリフ史に登場するのはその2年後の1968年からなのでしかたありませんが…

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6 コメント

  1. 自身のラジオ番組のオープニング曲はトゥモローネヴァーノウズでしたね。他のタレントさんでは絶対に考えられない選曲でした。またビートルズのブート盤のコレクターでもあった事はコアなビートルズファンの間では有名でした。
    謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

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    1. ビッグ辰さんコメントありがとうございます。

      いつか志村けんさんのビートルズコレクションが公開されると良いなと思います。

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  2. アイーンの表情は、ジョンお得意の、おどけた表情のパクリだと思う。

    合掌。

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    1. コメントありがとうございます。目を見開いてアゴを突き出して笑う表情ですね。なるほど。

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