2020年3月31日火曜日

志村けんさん死去 ビートルズとの関係

2020年3月29日に志村けんさんが亡くなりました。70歳でした。
2019年11月にフライデーされた志村さん
上記写真で志村さんが着ていたCOMME des GARCONSのTシャツ
志村さんは中学時代からビートルズにハマりバンド活動も始め高校2年生のときにビートルズ日本公演を見ています。高校の同級生が入手したチケットを「お前が行くより俺が行かないとダメだ!」と説得して譲り受けたそうです。当日武道館にカメラやレコーダーを持ち込んで撮影や録音もしたといいます。


一方、志村さんと言えばドリフターズ、ドリフターズと言えばビートルズ日本公演の前座出演が思い浮かびます。そこから「志村けんはビートルズ日本公演でドリフターズを見て弟子入りを決意した」という都市伝説が生まれましたが、後年本人はそれを否定しています。ドリフターズが出演していない日の公演を見に行ったのが事実のようです(行ったのは7月2日との説あり)。この都市伝説は本人発だったのかもしれません。面白がってそのように話していたことがあったそうです。なお、ビートルズ日本公演のエピソードとしてポールのマイクがグラグラする件を語ることが多いですが、それは志村さんが見ていない初日公演限定なので、その様子をテレビ放送などで目にしたことが印象に残っていると思います。

とはいえドリフターズに近づいた(いかりや長介さんに弟子入りした)のはドリフターズが音楽的バックグラウンドのあるお笑いグループだったからそうです。加入当初は従来のスタイルの演奏コントにも参加しています。音楽的側面からするとそれまでのドリフターズはジャズ、ロカビリー、ハワイアンといった1950年代以前のセンスが大半を占めていたところに志村けんさんがソウルやファンクといった要素を注入して躍動感が増したと考えることもできそうです。



その後「8時だョ!全員集合」でさまざまなギャグやキャラを生み出してブレイクすることになりますが、「東村山音頭」「ヒゲダンス」を挙げるまでもなくどれもリズミカルでキャッチーであり、音楽的センスが影響していることは想像に難くありません。
その後はお笑い一筋であまり音楽を前面に押し出す活動はありませんでしたが、ブラック・ミュージックのレビューを音楽雑誌に寄稿したりビートルズの楽曲の一部を自身の番組の挿入歌に使うなど、音楽との付き合いは続いていました。晩年は三味線を人前で披露することが増えました。


ビートルズに対する愛情は衰えることはなく、「行き詰ってくると『ホワイト・アルバム』なんかが聴きたくなる」(1995年)、「一番好きなのは結局ビートルズ」(2001年)と雑誌のインタビューで語っています。六本木にあったビートルズ専門ライブハウス「キャバン・クラブ」にも通っていました(我々甲虫楽団の演奏を見て欲しかった・・・)。志村さんのビートルズに関するインタビューや選曲を見るとジョン・レノン派だったようです。
コントの衣装やセリフにビートルズが登場することもありました(マッシュルームカットで襟無しスーツを着てガニマタでギターを弾く。「Our WorldでビートルズがAll You Need Is Loveを歌った時高校3年生だった」等)
自身のブログにも時折ビートルズが登場しており、2006年にはアルバム『LOVE』について、2011年には映画『ノーウェアボーイ』について語っています。2013年11月19日のポール・マッカートニー東京ドーム公演を見たそうです。おそらくウイングス日本公演に行くつもりが見られなかったのでしょう、1966年のビートルズ日本公演以来だったそうです。
ポール マッカートニー(志村けんオフィシャルブログ)

志村けんさん たくさんの笑いをありがとうございました。

3 件のコメント:

  1. 自身のラジオ番組のオープニング曲はトゥモローネヴァーノウズでしたね。他のタレントさんでは絶対に考えられない選曲でした。またビートルズのブート盤のコレクターでもあった事はコアなビートルズファンの間では有名でした。
    謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

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    1. ビッグ辰さんコメントありがとうございます。

      いつか志村けんさんのビートルズコレクションが公開されると良いなと思います。

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  2. アイーンの表情は、ジョンお得意の、おどけた表情のパクリだと思う。

    合掌。

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