ビートルズの初代ベーシスト スチュアート・サトクリフ80回目の誕生日 当時のメンバーが祝福

2020年6月23日は夭折したビートルズの元メンバー、スチュアート・サトクリフの誕生日でした。生きていれば80歳の節目ということで当時一緒に活動していたポール・マッカートニーとピート・ベストが祝福コメントを寄せています。



イケメン スチュアート・サトクリフとビートルズ

リヴァプール・カレッジ・オブ・アート在学中にスチュアート・サトクリフ(愛称「スチュ」)と出会ったジョン・レノンは超絶イケメンでアートのセンスも非凡な彼に心酔したであろうことが想像されます。ミュージシャン志望では無かった彼にベースを買わせ自身のバンドに引き込み、一緒に「Beatles」という名前を考案したといいます。
スチュとジョン
スチュの絵画作品
ポール・マッカートニーにとってはミュージシャンシップに劣り、「ジョンの親友」枠を脅かすスチュアート・サトクリフに心中穏やかでは無かったはずですがビートルズがブレイクするためにはスチュのセンスが必要だとジョンが考えたのでしょう。
ハンブルク遠征でアストリッド・キルヒャー(アストリット/キルヒヘルなどとも表記)と出会い、ビートルズと様々相互作用を繰り返してスチュとアストリッドが婚約するまでに至ったことからジョンの直感は正しかったのだと思います。

アストリッドは2020年5月12日に81歳で亡くなりました。アストリッドについては過去の記事をご覧ください。↓
スチュとアストリッド

ジョンが撮影したアストリッドとスチュ。後ろにはシンシア(後のジョンの妻)の姿も

スチュアート・サトクリフの演奏は上手くなかったと当時を知る誰もが口を揃えています。スチュ在籍時(ピート・ベスト加入前)の音源が残っており、『The Beatles Anthology 1』に「Hallelujah, I Love Her So」「You'll Be Mine」「Cayenne」の3曲が収録されています。
スチュのボーカルを使用したとする音源がリリースされたことがありますが、真偽はかなり怪しいと思います。
スチュはアストリッドと生活し美術の世界で生きるためにビートルズを脱退しますが、1962年4月10日に21歳の若さで亡くなっています。死因には諸説あります。死を知ったジョンとジョージ・ハリスンはスチュのアトリエを訪れており、写真家でもあったアストリッドが撮影した写真が残っています。アストリッドとは婚約していたものの入籍はしていなかったので、妻をめとったことはありません。お墓はリバプールにあります。
スチュアート・サトクリフのアトリエで撮影されたジョン
ジョンとジョージ
スチュアート・サトクリフの墓
  
後年ビートルズのアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』のジャケットに登場したスチュ

『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』に使用された写真の元ネタ

「BACKBEAT(バック・ビート)」として映画化

空前絶後の活躍を遂げたビートルズを現代から遡って振り返ると奇跡としか思えない出来事が多いことに驚かされますが、スチュアート・サトクリフの存在はその最たるものでしょう。多感な時期のジョンと出会い、「Beatles」をジョンと創設、ハンブルクで鋭敏なセンスの若者と交わりビートルズの意識を1段階引き上げた後で身を引き、そしてビートルズデビュー半年前の死…。これによりジョンは常に近くにスチュを感じられ、ポールはスチュの影に怯えることも無く、レノン=マッカートニーの結びつきはより強固になりその後のロケットスタートにつながりました。
こんな嘘のような本当の話をエンターテインメント業界が放っておくわけはなく、スチュアート・サトクリフとアストリッド・キルヒャーのラブストーリーに着目した映画「BACKBEAT(バックビート)」が1994年に公開されました。その後監督自らの手により舞台化され、2019年は日本でも上演されました。その際の大千秋楽はスチュの誕生日でした。
「BACKBEAT」については過去の記事をご覧ください↓

スチュアート・サトクリフの絵とドキュメンタリー番組

スチュアート・サトクリフの絵まとめ↓

スチュのドキュメンタリー番組 アストリッド、スチュの妹ポリーン(2019年没)、トニー・シェリダン(2013年没)、アラン・ウィリアムズ(2016年没)、クラウス・フォアマンなどが出演↓

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