発売から約1か月、ようやく『レット・イット・ビー スペシャル・エディション (スーパー・デラックス)』収録曲全て聴き、ブックレットを読みました。感想をまとめます。
2021年版リミックスの感想は以前の投稿をご覧ください→こちら
ブックレットは読み応えありおすすめ
ビートルズの50周年盤スーパーデラックスエディションはこれまですべて購入してきましたが、ふんぎりがつかずブックレットはほとんど読んでいません。今回は映画『ザ・ビートルズ:Get Back』が配信開始される前に理解しておいた方が良いと考え、じっくり味わいました。
『The Beatles: Get Back』についての甲虫楽団ブログの記事まとめはこちら↓
https://blog.kouchu.info/search/label/GETBACK
ブックレットは英語版+英文箇所を抜き出して日本語訳した冊子という構成で、非常に内容が充実しています。ポール・マッカートニーやグリン・ジョンズなど当事者による振り返りから始まり、ゲット・バック・セッションの1か月間だけでなく前年の『The Beatles』(ホワイトアルバム)発売直後から翌年の『Let It Be』発売までの流れを伺い知ることができます。曲紹介も録音当時だけでなくそれに至る過去の経緯や後年の評価まで踏まえています。ゲット・バック・セッションから生み出された3種のアルバム『Get Back』『Let It Be』『Let It Be... Naked』それぞれの差異も曲ごとに整理されており、より理解が深まります。
ブックレットの写真は珍しいものも収録されており、1970年1月のビートルズ最後のセッションの写真は初出のようです。日本語訳は曲名も訳してかえってわかりにくくなっている箇所がいくつかありましたが、全体的に良い文章と感じました。快適に読み進めることができます。
『Let It Be』と名付けられた2つのアルバム 1970年版と2003年版の位置づけ
グリン・ジョンズ版のアルバム『Get Back』を今回初めて聴いたのですが、その結果既発の2つのアルバム『Let It Be』(1970年)『Let It Be... Naked』(2003年) の評価が自分の中で落ち着きました。当時彼らが目指していたものは『Let It Be... Naked』のようなものであり、当時これができていればすんなりリリースされていたと思います。
「ライブレコーディングが得意なエンジニア」として呼ばれた(少なくとも本人はそう認識していた)グリン・ジョンズは自身の権限が事前の想像より強い事に戸惑いながらも原点回帰やありのままの姿といったコンセプトに忠実に従ったと思います。セッションをのぞき見する感覚が味わえることを目的として、できるだけ録音した日時がばらけない、試行錯誤の様子が感じられるテイクを選ぶ、前後のおしゃべりを採用する、などの狙いが感じられます。このグリン・ジョンズからの回答をビートルズのメンバーも受け入れたはずですが、「本当にこれでいいんだろうか?」という迷いがあったのかもしれません、その後9月に『Abbey Road』が先を越して発売されてしまい直前にジョン・レノンが脱退宣言、翌年映画『Let It Be』のサウンドトラック盤としてリリースが必要になる、と状況が変化してしまいました。「番外編」(録音当時ジョンがそう発言している)ではなく傑作『Abbey Road』の次という重責かつビートルズ最後のアルバムになる予感があったわけでグリン・ジョンズ版のままでは発売できなくなってしまい、フィル・スペクターが再プロデュースすることになります。指示通りに作ったものをボツにされたグリン・ジョンズからすれば「だったら自分の好きなようにプロデュースしたのに」と憤慨したくもなるでしょう。
グリン・ジョンズの見解については以下の記事もご覧ください↓
グリン・ジョンズ アルバム「LET IT BE」を「ゴミの寄せ集め」と評す
グリン・ジョンズ版『Get Back』を聴くとフィルスペクター版『Let It Be』はよくぞここまでアルバムとして成立させたものだと感服します。 ゲット・バック・セッションでの音源を使用していない「Across the Universe」「I Me Mine」がアルバム全体を引き締めている感があるのが皮肉なものです。長年非難の的になっている(非難の急先鋒は作者のポール自身)「The Long And Winding Road」のオーバーダビングですが、何もしないわけにはいかなかったのは同感で、オーケストラアレンジにジョージ・マーティンが関わっていれば後年の評価も一変していたと思います。ビートルズの解散ももう少し後になっていたかもしれません。
ビートルズのメンバーはアーティスト
1969年当時『Let It Be... Naked』のようなことができなかったのは、当時はそのまま使えるテイクが録音できなかったからという側面があると思います。『Let It Be... Naked』はデジタル処理で音源を切り貼りして完成にこぎつけています。もしかしたらグリン・ジョンズは「編集禁止」という縛りプレイに忠実であろうとしたが完成品と思えるテイクが無いため、逆にあからさまに制作途中のテイクを選んだのかもしれません。「ビートルズはまだ本気出していない」とエクスキューズしているというか…。
スーパー・デラックスに収録されているセッション音源のうち最も感銘を受けたのはビリー・プレストンが弾き語っている「Without A Song」 でした。それ以外の音源はどうも退屈です。現時点で強く感じるのは、ビートルズのメンバーはミュージシャンというよりアーティストなのだな、ということです。ビートルズのメンバーが結束して本気出すとすごい(ときおり「マジック」と表現される)というのは自他とも認めるところですが、そうでないときの個々の演者としての技術は当時の第一線にいなかったと感じます。そういう意味ではルーフトップ・コンサートを実現して自らを追い込んだ嗅覚はさすがビートルズと唸らされます。
まとめ:ゲット・バック・セッションの評価が変わる
ゲット・バック・セッションやそれに派生する商品の評価は時代によって大きく変わってきましたが、今年の一斉リリースでまた一変すると思います。しばらくはファンの共通認識が落ち着かなそうなのでこの時期のビートルズを間違って解釈したくない方は積極的に情報収集することをお勧めします。
さて、次は書籍版『ザ・ビートルズ:Get Back』に取り掛かろうと思います。こちらはまだ数ページしか読んでません…。
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