デヴィッド・クロスビー死去 ビートルズとの関係

 ByrdsやCSN&Yで活躍したアメリカのミュージシャン、デヴィッド・クロスビーが2023年1月18日に亡くなりました。81歳でした。

リハーサルスタジオで偶然会ったポール・マッカートニーと(2017年)
ショーン・レノンと共演(1998年)

ビートルズと同世代ですがミュージシャンとして花開くのは1964年にバーズに加入してからでした。ビートルズのアメリカでの流行をきっかけに自身の音楽的志向と時代の雰囲気を上手に融合させてのし上がった印象です。

ビートルズがバーズに与えた影響について語るデヴィッドとロジャー・マッギン


バーズ時代にサイケデリックやヒッピームーブメントに対する感覚を研ぎ澄まし、時にはビートルズを先導する立場になりました。

ビートルズの大麻体験への関与について語るデヴィッド
 
1966年8月アメリカでのビートルズへのインタビューに見切れるデヴィッド

1967年2月にビートルズのアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』レコーディング現場を訪問



ジョージ・ハリスンの誕生パーティーにも参加

ビートルズのメンバーとは仲が良かったようで、リンゴ・スターへの敬愛の念をツイートしたこともありました。リンゴはデヴィッドの訃報に対してツイートしています。

とくに関係が深かったのはジョージ・ハリスンです。ジョージがインド音楽に興味を持ったのはデヴィッドの影響もあるとジョージの妻オリヴィアも述べています。ラヴィ・シャンカルをジョージに紹介したのはデヴィッドという説までありますが本人は懐疑的です。
ジョージがあまりにインドの文化や宗教に傾倒することを危惧して「Laughing」という曲をジョージに捧げました。近年この曲を演奏する前にビートルズやジョージのことを語るのが定番になっていました。

1969年初頭にクロスビー、スティルス&ナッシュとしてビートルズが設立したアップルのオーディションを受け、後にデビューアルバムを構成した楽曲をジョージとピーター・アッシャーに披露したのですが落選したそうです。
すでにビートルズは終焉を迎えようとしていましたので、結果的にビートルズと距離を置くことになったのは良かったと思います。同年8月のウッドストック・フェスティバルにしっかり居合わせてそれをバネに一気に絶頂期を迎えました。

デヴィッド・クロスビーに対する個人的な印象としては、彼の魂の中には巨大な宇宙があって彼自身の体も精神もそれをコントロールすることが難しかったように思います。ドラッグ中毒、肝移植、逮捕、…。自身に対してもそうですから他者との軋轢が多かったことにうなづけます。トラブル続きの人生でしたが何が起ころうとも彼の宇宙は枯渇することなく、最晩年までボーカルと音楽性は常に瑞々しくありました。

ポール・サイモンの歌う「Here Comes the Sun」に盟友グラハム・ナッシュとともにコーラスをつけるデヴィッド(2009年)

ジョーン・バエズと「Blackbird」を歌うデヴィッド(2016年)

2011年から始めたTwitterにハマり、総ツイート数は8万に迫ります。フォロワーとの交流も活発で、2021年末に配信された『ザ・ビートルズ: Get Back』もしっかり視聴しており、フォロワーに乗せられて「(スタジオにいるオノ・ヨーコは)ありえない」「ビートルズのメンバーは憎しみ合っていた」とうっかりツイートしてしまうなど、歯に衣着せぬ物言いでネットの面白いおじいさん的な扱いになっていました。
この流れから派生した2019年~2021年配信のネット番組(邦題をつけるなら「教えて!クロスビー」)でもNGなしの質疑応答を展開していました。「ビートルズかストーンズか?」という質問にはビートルズと即答していました。幅広い音楽性とハモリの良さを挙げています。デヴィッドはハモリで世に出たところもありますので目の付け所に納得です。同じ回で同世代の偉大な作曲家としてポール・マッカートニーの名前を挙げています。

死の直前(数時間前、のレベル)には雨の日のビートルズソングとして「Eleanor Rigby」を挙げていました。人生最期に思い浮かんだビートルズの曲だと思うと感慨深いです。
過去のインタビューでも同曲に受けた衝撃を語っていました。

CS&Nとして1991年、1995年、2015年に来日しています。僕は1991年と2015年の公演に行きました。2015年についてはこちらの記事をご覧ください↓



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