Paul McCartney: 'Still prancing'
http://www.aljazeera.com/programmes/frostinterview/2012/11/201211384338112420.html
http://aje.me/SKtix3
インタビューだけでなく、過去の写真や映像を交えながらナレーション入りで解説するなど丁寧な作りでした。
主なポールの発言は以下です。訳が間違っているようならご指摘ください。
ジョン・レノンとの曲作り
- ジョンと自分は一緒に300弱作曲した。二人が膝を突き合わせて3時間作業すれば1曲できた。二人のセッションに無味乾燥なものなど無く、いつも曲を作っていた。振り返ってもジョンと一緒に作曲できた自分は幸せ者だった。ジョンはイケてるやつだったし、曲作りに関しては自分もイケていたと思う。だから二人は渾然一体となっていた。
- 最初は一緒にシンプルな曲を作っていたが、作曲のやり口を習得するにつれだんだん良質に、複雑になっていった。(ツアーを止めたから)もう一緒にホテルの部屋で過ごすこともなくなり、生活も別々になったことで、ついにはジョンはジョンの曲、自分は自分の曲を作っておいて、一緒に互いの曲を仕上げるということがほとんどになった。
- たとえば「Eleanor Rigby」を作曲していたとして、最後か何かの一節が決まって無いだけで全体の行く末はわかっていた場合、その状態でジョンに聴かせて意見を聞いた。それが素晴らしいやり方だった。ジョンも自分もお互いの意見を非常に尊重していた。
ビートルズの解散
- あの時がジョンがビートルズを去るべきときだったと思う。それは周りにとってショックだった。ジョンはただ「自分はグループを抜ける」とだけ言い、周りは皆「本気か?」と言った。皆で存続させようと試みたがジョンは確実に去ろうとしていた。そのようなことが当時起きていた。
- しかしその時点である意味ビートルズをやり遂げたことに気づいた。やりたかったことはすべてやったと。事実として解散は悪いことでは無かった。
リタイア
- 「40歳にもなってステージではね回っているのは哀れだ」という昔(40歳より前)の自分の発言が引用されているのをどこかで見た。だがそれは違う。自分は未だにはね回っているしそれを楽しんでいる。
50年前の自分の写真をiPadで見るポール |
1964年「A Degree of Frost」でのデビッド・フロストとのインタビューをiPadで見るポール |
1964年のインタビュー映像
番組は「My Valentine」(2012年作)と「Lady Madonna」のピアノ弾き語りで終わっています。
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